神社学的☆プロセスこそが随神道


この国に住んでいる人であれば、一度も神社に行ったことがない、というほうがめずらしいかもしれない。では多くの方の神社参拝はどんなきっかけが多いのだろうか?


お宮参り、七五三、結婚式やお葬式などの人生の節目には必ずという方もいれば、お祭りや初詣といったイベント的な時にしかというかたもいるだろう。または観光や出張の際に立ち寄るなどなど、そのきっかけは様々ではないだろうか。もちろん合格祈願や縁結びなどの「お願いごと」がきっかけという方もたくさんいることと思う。


いずれのきっかけにしろ、神社に行ってお参りをするとなると、お賽銭を入れて鈴を鳴らして、柏手を打ち、何かしらの祈願をするというのが一般的だろうとは思うが、神社学的にはこの逆を提案したい(笑)


逆でもないかもしれないが、神社学的には神頼みはしない。

神様にお願いをするのではなく、祈り捧げ、誓いを立てることに重きを置いている。

資格でも終活でも受験でも何でも、例えば何かの試験にどうしても合格したいときに神社にお参りに行くと想像してほしい。


「神様お願いです! ○○に合格させてください!」と神頼みをするか、

「僕は○○に合格するために、死に物狂いで勉強します!どうぞ見守っていてください」と意思を誓うのか、この二つが求める結果は同じもの。しかし、神頼みか神前の誓いなのかによって、その後その人がどのように行動するのか、プロセスが全く変わってくると僕は考えている。

「神様にちゃんとお願いしたからきっと大丈夫!」なのか、「神様に誓ったからには、本気で取り組まなきゃ」と思えるのかで、行動は変わり、手に入れる結果も変わってくるに違いない。


神頼みはいわば他力本願で、神様にすべて丸投げしてお任せしちゃってる。いっぽう誓いであれば、自分が努力する以外に方法はない。まずは自分で精一杯やると誓い、その姿を見守ってくださいとお伝えする。神様と約束をするほど自分自身は本気なんだ! とやる気を奮わせると、くじけたり、なまけたり、手を抜いたり…しにくくなるよね(笑)


とはいえ、いくら努力をしても人生にはアクシデントはつきものだし、自分ではどうにもならないこともたくさんある。そんな時にも神様との約束事があれば、それこそくじけずに前にすすむ原動力になるに違いないと、僕は思っている。


日本人の道徳心やマナーの良さは、心のどこかに「お天道様(神様)は必ず見ている」という意識があるからなんじゃないかと信じていて、誰かに見つからなくても、空や木々、風や大地にいる神様には全部お見通しなんだ、とそんな気持ちが意識するしないに限らずどこかにあるんじゃなだろうか。神様に対しては、一切の嘘やごまかしは通用しない、と。


加えて、僕らが嘘をつききれない相手は、神様以外にもう一人いる。それは他ならなぬ、自分自身。自分の心だけは、ごまかすことができない。きれいな言葉を並べて笑顔を作れば、他の人はあざむけることができるかもしれない。でもそれが真実ではなかったとき、そのことを自分自身はよくわかっているはず。偽り、取り繕い、大人の言い訳。それらは時として鎧となり、外部からの攻撃から身を守ってくれることがあるかもしれない。でもそんなとき、鎧の中のなまみの自分は、自分自身の毒で傷ついている。


例えば「タバコをやめる」と心に決めたのに吸ってしまったとき、人に対しては「最初から禁煙なんかするつもりじゃなかった」とごまかすことはできる。罪のない小さな嘘ですし、喫煙マナーさえ守れば人から責められることでもないだろう。けど、自分の心は痛み、ちょっとがっかりしやしないか?「ああ、吸っちゃったなぁ」と。そこに神様への誓いを取り入れてみると、嘘をつけない対象が自分と神様というように二倍に増える。そう考えると、家にいて自分ひとりで心に決めるよりも、神社へお参りに行き神様に誓いを立てたほうが、真剣にもなれば本気になるに違いない。その先に、禁煙という目標を達成できるかどうかといった結果も、大きく変わってくるのではないだろうか。


お参りは自分の心と神様に約束をすること。

神様との約束を意識することで、日々の行動がかわる。

神頼みではなく、”誓いをたてる”お参りを、僕はおすすめします!